りゅうちぇるさんが自殺したそうですね。
当日放送のラジオ放送の中で、意味深な発言があったそうです。「泣いてもいいよ」と言われたとのことでした。それくらいストレスの度合いが逼迫してて、それでも生きることを選択しなかった。別れたペコとの間には男の子がいたそうですが、ネット上では「子供が不憫で可哀そう」「親として無責任」という意見が多く寄せられているといいます。
あなたが同じ立場になった時、あなたはどうしますか?
あなたならひとりでそれを解決できたのですか?
ひとりで解決しようとするから、苦しいんですよね。以前聞いていたテレフォン人生相談では冒頭に「悩みは話すことで半分になります」と言っていました。
「何だよ、半分もあったら生きていけんわ!」と言われますか?
以前は僕もそう思ってました。「所詮は他人事だろう」みたいな。しかし自分の人生は自分が作って歩んでいくものです。道の作り方がわからない時には他の経験者に聞けば良いのです。
わかったところで思うようには進まない。
- わからないものはわからないし、
- わかったところで思うようには進まない。
- 人の気持ちなんてわかるはずもない
と、思うのです。「私が黙っていても察してよ!こんなに苦しんでるのに!」という方も時々いらっしゃいますが、時々その悩みを見つけてあげられることもあります。が、たいていの場合は、親しい仲でもわからないものはわからないものです。それも責任をもって解決するなんてのは却って無責任です。
変なアドバイスをして、「やっぱり私の事をわかってくれないんだ」と思われても、怖いです。
これはある意味での「欲望」です。つまり、
「自分の都合のいい事だけが起きてほしい」と考えるのです。でも前述のように思い通りにはいきません。そこで起こるのが
「ストレス」
なのです。ストレスに強い弱いとか、ポジティブに考えられるネガティブにしか考えられないと2極に分けて考えがちですが、実際には人には見せられないようなストレスからくる悩みがあるかもしれません。それを人に見せないいことが「ストレスに強い、ポジティブシンキングのできる人」と考えることは、果たして正しいのでしょうか?
僕は自己愛性・境界性・強迫性パーソナリティ障害と診断されています。いずれも考え方や湧き上がってくる感情に他の人とは違うレベルの偏りのある症状です。
それを修正すべく受けているのが「認知行動療法」です。今はネガティブにしか考えられないかもしれないが、思考の方法をポジティブに変えることが出来たら行動も良い方向に変わっていく、というのがその趣旨です。
長い間、あるいは最近に起きた悪い事、悲しい事、思いもよらなかった事などがあれば、誰でもポジティブに生きていくことは難しいと思います。
それが究極的に表れるのが「自殺」です。
自殺を肯定的に捉える人も少なくありません。
「自分の人生なんだから、好きにすればよい」
「死ねば苦しみから解放されて羨ましい」といった感じです。
逆に否定的に言われるのが「無責任」という言葉です。
「苦しいのは自分だけはないのに」
「周りの人がどれだけ悲しむのかわからないのか」
「その命で救える命があるから、その捨てる命を寄こせ」などでしょうか。
自殺なんで100%無責任です。責任から逃れるためにやるのです。これ以上辛さや悲しみ、苦痛には耐えられないということです。
実際はどうでしょうか。大概の場合、死ぬほどの苦しみではなかったのではないかと思います。困ったことがあったら、もし死ぬほどの辛さがあるなら、当事者の前で泣き叫べばいいのです。
役所の窓口、上司の目の前、同僚のいるオフィス、・・・
気を付けないといけないのは家族の前でワァワァやられると、責任を感じる比重の高い家族には負担が大きすぎます。どうすればよいのか?
家族が病院に連れていけばいいのです。自分でやろうとするから疲れるのです。これは自殺志願者にも言えることです。どうしたら良いのか、なんて自分がいちいち考えることではないのです。
頼ればいいのです。「信頼」という言葉は「信じて頼る」わけです。相手をぜひ信じてあげたあげたいものです。それでも「他人なんか頼れない」「どうせ裏切られる」「責任とれるのか」と反論されそうです。そういう人は大概「自分は病気ではない、世の中が悪い、自分の力量がなさすぎる」などと考えがちです。自己肯定感はなかなか持てなくて、反対の自己否定感は簡単に持つことが出来ます。
なぜか?
自分ひとりだけで抱え込むことが出来るからです。自分は不幸だと思えばいくらでも不幸になれるからです。それでも最近の研究では鬱病などは気持ちの問題ではなく、脳の病気だという研究結果が出ています。
薬が嫌いな人は無理に飲む必要はありません。ただその分回復が遅れるだけです。薬には自殺予防効果のある薬がいくつもあります。この場合は薬を「信じて頼れ」ばいいのです。僕は1日8~10種類くらいの薬を飲みます。肝臓に負担がかかっているかもしれません、依存症になっているかもしれません。でも今起こりえる強い症状・・・易怒や希死念慮などが出てからでは遅いのです。
そう言うと「医者は製薬会社と組んで金儲けしようとしている」「どうせ診療は3分で終わるくせに高い治療費取りやがって」という意見が出てきます。
そういう人は民間療法で漢方でも飲めば少しは罪悪感がなくなるし、民間のカウンセリングでも受けたらいいと思います。大体50分5000円くらいです、効き目はよくわかりません。
金があれば大概の事は解決します。病院に行くにしろ、ストレスを軽くするために体を鍛えるためにジムに通うにしろ、効き目がありそうな漢方を買うにしろ、何にしろ金が全てを解決します。
それでも、適齢期を過ぎた中年、壮年の人たちは、どうすればいいのでしょう?仕事はたくさんあるし、どこもかしこも人手不足だと言っています。なのに仕事がないないと嘆くのはなぜでしょう。
自分に適した仕事がないからです。
過去にやったことがない、過去にやって失敗した、何となく苦手
こんな事を中年ともなると考えます。ガムシャラに難にでもチャレンジする勇気がないのです。
そして絶望するのです。もう自分のやれることは、もうない。辛い、苦しい、悲しい・・・
最後に選ぶのが・・・
自殺なのです。
自殺は古今東西、珍しい事ではありません。しかし自殺に出くわす事が何度もあることは、そうそうないと思います。
助かっても重い後遺症に苦しんだり、治療費は10割負担で金銭的に余裕がない(諸説あり)など、良いことは何もありません。唯一良いことがあるのは「うまくいけば苦しみから解放されてこの世の苦しみから解放される」ことだけです。
ちなみにある調査では自殺の2回に1回は未遂に終わるそうです。2分の1です。なので志願者はより致死率の高い方法を選びます。
昔、完全自殺マニュアルという本がベストセラーになり、社会問題にもなりました。
ここには書きませんが、どんな方法が致死率が高いか、逆に苦しいだけで死ねない方法などが載っていました。覚えておいても損はない内容だったと思っています。
人は死んだらどうなるのでしょうか?
よく生まれかわったら、次はもっといい人生を送りたいなどと考えますでしょうか。「こんなに苦しんだのだから、次には何にも生まれ変わりたくない」、と考えることもある事もあるでしょう。
しかし仏教では生まれ変わっても何度でも苦しみから逃れられないと言われます。
ではどうすればいいのか?
悟りを開くこと、だと言われています。
しかしブッダでさえ、生まれ変わったらどうなるかなど、考えなかったといいます。考えてもわからない事は考えず、今出来ることをやっていこう。これこそが「悟り」なのではないかと思います。
今出来ることとは、なにか?そうですね、googleでしらべてみましょうか?
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