
今、僕が患っている双極性障害は波も小さく、落ち着いています。
この状態を「寛解」と呼びます。「無症状状態」とも言えるでしょう。
「これだったら仕事復帰しても大丈夫じゃないか」と本人は思うわけです。そこに落とし穴があるのです。僕は今まで7回の入院を経験してきました。大体が希死念慮によるものなのですが、とにかく気分が落ち着かなくて、そのままだと何をしでかすかわからん、という事で入院となってしまいます。
やがて退院し、外来での診察に変わりますが、その間は大体元気なんです。仕事によるストレスがないからです。で、仕事復帰を考えるわけです。そこでよくあるのが
- 会社での仕事を任せてもらえない
- やることが極端に減った
- 特に心配をしてくれない
といった、ことを感じます。これは仕事復帰した人が必ず味わう経験です。
「そんなの開き直って気にしなければいいじゃん、甘えて仕事してりゃいいじゃん」と言われますが、根が真面目な人が多いため、
「自分が会社の足手まといなんじゃないか、自分がいるせいで他の人に迷惑かけてるんじゃないか、自分はろくに仕事もしてないのに給料だけもらって、まるで給料泥棒じゃないか」
とネガティブ、後ろ向きな事ばかり考えます。
現場の同僚に言わせれば
- いきなり仕事を任せてまたすぐ潰れてしまっては困る
- たくさんの仕事を担当してもらってまた休職となればその仕事の引継ぎが出来なくて困る
- 変に腫れ物に触るように扱うと、かえってプライドが傷つく
というような杞憂に苛まされるわけです。だから僕の場合は
「どこでどんな仕事をしていてもいい」
という事になって、仕方なく自宅で仕事をしています。誰からも仕事は頼まれませんし、こちらから仕事を頼むこともありません。
だから焦るのです。「こんな事で給料もらうなんて、自分はやはり給料泥棒なのだ」
それでもやがて自分なりの仕事を見つけて、「これならば自分が会社に貢献できる」というような仕事を見つけて、それに取り組むわけです。僕は現在、会社では把握できない売上や来店客数といった営業に関わるデータ分析の仕事をしています。これは休職前からやっていた仕事のひとつなので、ストレスなく進められます。これぞ「どこでどんな仕事をしていてもいい」状態なのです。
ただ難点があって、それは作ったデータを細かく見てもらえる相手がいない事です。自分ではうまく分析したデータを作っても、それを見てもらって「ああ、これは役立ちそうな分析だ」と言ってもらえないわけです。「どこでどんな仕事をしてもいい」と言うのは孤独との戦いなのです。
それでも自分なりに「どこでどんな仕事をしても良い」と言われて、本当にやることがなくなってしまったことがありました。誰も仕事をくれません。自分で仕事を見つけるしかない。でも仕事を見つけることが出来ない時期がありました。復職直後のことです。
仕方がないので現場の駐車場を竹ぼうきで掃き掃除をしていた時がありました。すごく惨めで涙が出ました。
「ああ、もうこんな仕事しかできない自分が情けない」
そう考えるともうダメなわけです。また再入院となりました。
なぜそんなに思い込むのでしょうか?黙って簡単な仕事でもしてればいいのに、と周辺の人は口をそろえて言います。でも自分なりに考え抜いた答えなのです。
- バカが付くほど真面目
- 開き直れない
- 手が抜けない
それらが悪いと思いますか?なぜ真面目でいけないのですか?なぜ手を抜いてはいけないのですか?
その答えはきっと「過去の自分に捉われ過ぎ」ているからです。
過去にはフルタイムで週5日、会社の仕事を自分が回している、そう思っていたし実際そうでした。自分が頑張らなくてはならないのだ。そう思って懸命に仕事をしていました。
それがだんだんキツくなってきて、それまでよりの力が出なくなっていくのです。自分でもおかしいと思うのですが、原因がわかりません。だから余計に仕事をしてしまうのです。
「こんな事でくじけちゃだめだ!もっと努力しなくてはいけない!」
そんな事をいちいち考えていたらダメに決まっているのです。
なぜか?
「過去の自分と比べて、体力気力ともに落ちていることに気付いていない」からです。
過去に出来たことが今でもできる、過去の自分は誇りを持って出来ていた。会社を守っているのは僕なんだ。と、そういう錯覚をしてしまうのです。ここが「馬鹿が付くほど真面目」な点なのです。
適度に休めばいいんですね。そういう場合は。そうすることでまた次の仕事を頑張れる。そういう事が仕事では求められるのです。でも「馬鹿が付くほど真面目」な自分は休めないのです。
「休むことで皆に迷惑がかかる。自分は「手を抜いてはいけないのだ」と思い込むわけです。でもいよいよ限界が近づいてきて、少しずつですが仕事が怖くなってくるのです。
「この仕事を失敗したらどうしよう?ここで迷惑をかけたらどうしよう?ここで人の頼みを断ったらどんな風に思うだろう?」
そういう考え方になっていきます。
- 仕事を100%成功させるなんて、そもそもおこがましい。70%くらいで十分。
- 少しくらい休んだって迷惑をかける事なんてない。同僚がカバーしてくれる
- 頼みごとを一つ断ってしまっても、現場の人は何とかしてくれる
そういうふうに考えをポジティブでお気楽な方へ持っていけたらいいのですが、「馬鹿が付くほど真面目」な自分は、極端に視野が狭くなっていて、そういう柔軟な考えが出来ないのです。一番できないのは「人に頼ることが出来ない、頼むことが出来ない」ことです。自分で何でもやってしまおうとするからです。それも大事な事なのですが、それは無理な事なのです。それを誰かが察知してくれたらいいのですが、社会人はそういうことをしません。自分のことは自分でやる、それが社会人。そんな事を思うのです。
やがて訪れるのが「本当の失敗を起こす」「本当の休養不足に陥る」「本当の頼み方がわからない」そんな事が起きると、もうダメです。
「自分は本当にダメな奴なんだ!!」
もう自分が情けなくて情けなくて、悲しくなっていきます。涙が止まらなくなり、まっすぐ立つことすら出来なくなります。酒が増え、自殺を考えるようになります。普通の健康な人はそんな事でいちいち落ち込まないのです。でも自分にはそれが出来ない。
極端に自分を責めます。そして休職・入院してしまう、のです。
退院後のリハビリ期間があります。
「そこでもどうやったら自分は元の自分に戻れるのか、いや以前以上に仕事ができるようになるにはどうしたらいいか」考え抜くわけです。そしてまだ完全に回復していない体で無理をして、すぐに心が折れるのです。
「自分は本当の本当にダメな給料泥棒なんだ!!」と以前よりも自分を極端に責めぬきます。
この辺の感覚は実は他の健康な人にもあって「失敗しちゃったけど、次は気を付けよう」と楽な考え方が出来るのです。でも自分にはそれが「悪」に見えるのです。「手を簡単に抜きやがって」と。
それでもうまくいってる人はうまくいっていて、結果的に仕事をこなすことができるのです。僕から見たら、それが羨ましくもあり、妬ましくもあるわけです。
「なんで俺だけが・・・?」
その答えは「馬鹿が付くほど真面目」な自分を捨て去る事なのですが、それが出来ないのです。馬鹿真面目だから。
そしてまた無理をして、わずかな失敗で自分を責めて、落ち込み仕事が出来なくなる、休職・・・
この繰り返しなのです。こうならないためにも
- 適度に休む
- 適度に他人に頼る
- 適度に頼みごとを断る
「馬鹿が付くほど真面目」な自分をどこかに捨ててくる、捨てることに抵抗があるなら、心の倉庫にしまって鍵をかける。そういう努力をして、初めて職場復帰を成功させていくのです。
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