皆さんは認知行動療法という精神科の治療法をご存じでしょうか?
人は誰しも様々な事を「認知」しています。
見たり、聞いたり、味わったり、触れたり・・・物事を考えたり。
そんな時に「これは○○だった」「あのことは○○だった」などと感じます。これが「認知」です。「思考」と言い換えてもいいかもしれません。
そんな認知がもし他の人より違っていたら、どうなるでしょう。
認知が違うという事は感じ方が違うということです。認知が違うという事はその後に起こす「行動」が変わってくるという事です。
「認知」・・・感じ取り方によって、行動が変わる。これが「認知行動療法」の基礎的な考え方です。
先ほどの「認知がもし他の人より違っていたら、どうなる」かという問いについて、言えるのは他の人とは違った行動をとるという事です。その行動が正しいなら問題はないのですが、大抵この治療を受ける人は、大きく考え方が偏って極端な考え方をしています。そんな極端な考え方、物事の捉え方をすれば、行動もそれに伴って極端に普通では考えられない行動を行ってしまいます。その結果、自分が苦しむことになります。他の人にも影響を及ぼします。
では「認知」を変えていくにはどうしたら良いのでしょうか?
まず、こういう人たちは非常にネガティブな考え方をしている事がほとんどです。それを逆に考えてみることです。いきなり実行はする必要はありません。
「ああ、○○な目にあったから、憂鬱だ。今日は何も考えずに早く寝よう」の中で「憂鬱だから、早く寝る」と言うのが「認知と行動」というわけです。
もしその憂鬱が何かの勘違いだったら?何か大げさに捉えていたら?何か違うことを考えられたら?と、自分を疑うのです。憂鬱は結局のところ、「自分が嫌な目に合うから」「嫌な目にあったから」感じるものです。で、そのまでの経験上「嫌な目に合いそうだ」という事がわかるわけです。
「世の中の心配事の9割は起こらない」などと言われますが、僕はこの考え方があまり好きではありません。その残った1割のために恐れおののくことが嫌だからです。9割の中にも嫌な事が起こらないとは保証がないわけです。
そんな時に自分を疑うのです。
「前にもあったから今回も絶対起こると言い切れる?」
「前回起きた嫌なことに対してどう対処した?反省点は?」
「残りの1割を恐れてばかりだと疲れない?」
などと考えてみるのです。本当にそう思えたら、それに伴う行動も違うものに変わっていきます。
「心配事は絶対に起こるとは思えないのだから、憂鬱に考えても仕方ない」
「前回はつらい事しか感じなかったけど、今度同じことが起きたら反省点を活かした対処の仕方をしよう。
「確かに9割の中のチャンスがあるとしたら、残りの1割の為だけに時間をかけて考え込んでも仕方ない。」
こうすることで「認知が変われば」「行動の仕方も変わってくる」と言うのが
「認知行動療法」の基本的な考え方です。
ところで僕も専門医から認知行動療法を受けています。そこで習ったのが
- 良い方に考える
- 鬱的な考え方に重きを置かない、一時的に起こりえるもの
- 前向きに考える癖をつける
- 不安は決して無くならない、不安と共に生きていく
- 苦労している状況に対して主観を入れない
- 「なぜ自分だけが」というのは「こだわり」である
- 不快なことに後ろ向きな言葉で表現してはならない
- 意識的に自分を責めない
- 自分の評価を他人に決めてもらわない
- 劣等感は誰にでもある、その考え方が行き過ぎるとやる気がなくなる
- 人間は「価値観」「やる気」「情熱」で生きている。「情熱」が強すぎることはこだわりが強すぎるという事
- 感情のコントロールは無意味な事、それを受け止める、優劣をつけない、評価をしない
- 感情が出た時にポジティブに受け入れる練習をする
- 「まあ、いいか」と考えられるようにする
- 相手のことは変えにくいが自分のことは変えやすい、自分の考えは本当に正しいのか?もうひとつの自分が見る、同じ出来事でもその都度考え方は違う、主観的になると人生を踏み外す
- 自分を嫌わない、良い人間関係を作る、社会や他人の評価をあてにしない
といったところです。よくある自己啓発本にも同じような事が書いてありますが、やはり専門医が言う言葉には重みがあります。つまり同じ悩みがあっても
「自己啓発本に書いてある言葉は軽い」
「専門医が言う言葉は重い」
という事につきます。ただ、認知行動療法という考え方は自己啓発本にはなく、単なる著者の知識と経験談で構成されているケースがほとんどです。
「認知が変われば行動も変わる」どんな自己啓発本にもなかった言葉です。
認知行動療法には、薬物治療と同等の効果があるとされています。
考え方ひとつで、その症状を見直してゆく、なかなか難しいのですが、本気で取り組んでいる事のひとつです。
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