30年前の打ち上げ花火

可笑しい

家庭も持った今の僕は、精神疾患があったりとか色々ありましたが、なんとか50手前まで生きてきました。それは毎日毎日、1秒1秒の連続で形成されたものです。その間には様々なことがありました。ただ、結婚する前にはただしゃかりきに働いて、土日の休みを待つ日々でした。その中で、出会いと別れもありました。

女性と付き合うようになってたしか2人目の方でした。相手の方から僕のことを気にいってくれたと聞いてます。モジモジしてるところを僕から

僕のことを気に入ってくれてるみたいですね、よかったら二人で出会いませんか?

と、言いました、はい、ぜひ。というような返事だったと思います。

で、早速次の週、お会いしました。小さなサークルKの前で待ち合わせしました。やっぱり女の人を待つというのは、ドキドキするものですね。僕が先に着いたから、待ってる1秒1秒が長く感じたものです。

やがて彼女がやってきました。小柄な彼女は夏の光を浴びてとても可愛く見えました。その日どこで何をしたか、覚えてません。たしか高山の古い町並みを、みにいった記憶があります。

会ってはドライブにばかり行きました。キスをしたり、肌を合わせたり、そういう愛も普通にありました。気が合うのか喧嘩は一度もしたことがありませんでした。とても、優しいいい子だったと思います。

ラジカセが欲しいと言っていたので、僕の持っていたラジカセを貸してあげました。小柄な彼女が持つとフラフラとするくらいラジカセが大きく、彼女は小柄でした。一番遠いところは奈良県まで行きまきた。

この時彼女に言われたのが[一応門限があるからあんまり遅いのは…ね]と、僕は僕の好き勝手によかれと思ってしていたことは、彼女にとって100%満足することではなかったということが、まだ僕にはわかってなかったと思います。

ある日、長良川で花火大会があるから、観に行こうとふたりで行ったことがあります。今みたいな座席指定はなく、どこででも見られました。僕らは打ち上げ場所の、すぐ近くで見てました。音も光も大迫力で、こんなものははじめて感じる体感でした。彼女の手を握り、しばらくその至福の時間を過ごしたのでした。

やがて、季節は秋となり段々ふたりの仲は悪くなかったのでしたが、どこか、すれ違うようになりました。そんな中で体だけを求めようとする僕の存在は、段々気持ちが離れていく感じが伝わってきました。

そろそろ、ダメかな?

そう思った12月のある日、待ち合わせのコンビニにいつか貸したラジカセを持った彼女がきました。

ああ、これで終わりなんだな…

そう感じました。彼女に直接、湿っぽいことは言わず、これでお別れにしようね、と伝えました。お別れが終わりました。帰りの車の窓から見えた彼女の姿には悲しみは感じられなかったです。

これはこれでひとつの恋であり、その恋は短かかったけど、それは事実として想い出に残るんだ

そう思いながら、僕は帰路につきました。心の中にいつか見た花火のことを思い出すのでした。

時は流れて30年。ひとりで花火を見に行きました。彼女がどこで何しているかはわかりませんが、この花火のことを覚えてるのかな、とふと思いました。

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