ひとりスタイルの意義

音楽

今日は弾き語り練習のために練習スタジオに行ってきました。ひとりカラオケでも良かったのですが、土日ということもあって、きっと混雑しているだろうという読みもあって、たまたま空いていたスタジオに入ることが出来ました。

本来ならばバンドのギタリストとして練習に参加するはずだったのですが、諸事情によりバンド活動は出来ず、自分の信念からギターの弾き語りという形になりました。
バンドはなかなか難しいものです。帯に短し襷に長しという言葉もある通り、こっちが立てば向こうが立たず、向こうが立てばこっちが立たずと、なかなかすり合わせは難しいものです。

そんな中で練習はおろか、ライブも出来るはずもなく、ただただ時間が過ぎていくのも、この年になってくると、あまりいい気はしません。

「そんなに焦っても駄目だよ」?

そんな声も聞こえてきそうですが、要するに自分は「動きたい」わけです。もちろん自分が双極性障害で仕事をかなりの部分で免除されていることも知っています。でも、人生は一度きりなのです。

いつやるの?今でしょ!?

という諺にもある通り、動くならば今!!
そんな気がして、今日も活動に勤しんだわけです。今日の曲目はいつもの18曲に加えて、小林旭とチューリップのの曲を追加しました。

  • あなた
  • さらば恋人
  • 街の灯り
  • 冬のリヴィエラ
  • 案山子
  • いい日旅立ち
  • 木綿のハンカチーフ
  • 海 その愛
  • シクラメンのかほり
  • 喝采
  • 初恋
  • なごり雪
  • 大空と大地の中で
  • 唇をかみしめて
  • 愛はかげろう
  • 俺たちの旅
  • 岬めぐり
  • あの鐘を鳴らすのはあなた

に追加の2曲として

  • 虹とスニーカーの頃
  • 熱き心に

で、合計20曲です。
なぜにそんなに用意するのかと言えば、単純に「皆さんが知っていそうだから」です。他に理由はありません。僕のオリジナル曲は100曲を超えています。でも知っている人はまぁまずいないといっていいでしょう。ことライブにおいては事前に聴いてもらってないと無理ですね。
また初めて聴かせていきなり感動させるほどの完成度はないと思ってます。いや、厳密には自信はあるのですが、聴こうとしている客層や性別、思想などを考慮すると、今ここで出す歌ではないな、と思うわけです。

弾き語りになっているのも、やむを得ずといった感じでしょうか。とりあえず最小の構成でライブに挑もうとするとこういうスタイルになるのも、致し方ないのかなと思ってます。無論僕の考えに賛同してくれて一緒にやってくれる人がいればそれに越したことはないのですが、そこには僕なりの人選があります。だれでも良いというわけにはいきません。素行が真面目な人、約束を破らない人、嘘をつかない人、練習を欠かさない人、自分から意見や知恵を出す人、ワンパターンの型にはまってない人、年が近い人、そして

同性の人

です。異性の人を悪く言うつもりはないのですが、自分が男として生きている以上、女性と何かをするという事は少なからず何かの感情が絶対芽生えてくるはずです。それが良い方向に行けば「てんとうむしのサンバ」で有名なチェリッシュのようになるのですが、立場上(既婚)である限り、他のメンバーとしても異性がいる事は、最も気を付けないといけない事柄なのです。

少なくともこの弾き語りスタイルでは以上のような条件で活動しています。活動場所もチケットノルマがあるような店では恐らく10000円くらいの赤字が出るので、オープンマイクをやっている店に絞っています。チャージ代が2000円プラスドリンク代なのですが、雰囲気はいいし、先日は1番乗りで計10曲も歌えたため、とても良いステージになりました。

やはり「早起きは三文の徳」
あの日も開店前20分に店の前にしゃがんで待っていたらマスターが現れ「見るの?歌うの?」でしたから、完全に一番乗りだったわけです。この戦法は必須ですね。歌って歌って歌いまくって、ゆくゆくは週末のライブに出演することも視野に入れています。それまではオープンマイクで粘って、本気を出してゆく、単なる飲み客じゃないところを出していきたいと思います。

思うのですが・・・

クオリティーが低い・・・

今回初めて「録音」をしてみました。そこで思い知らされたのが「音痴」「ギターが下手」という事です。「音痴」はある程度分かっていましたが、聴いてみると語尾が下がる、伸び切らない歌声なので聞き苦しいのです。フェイクではなく、単に声が出ていない。これでは駄目ですね。もっとそこは鍛錬が必要です。でもなぜそうなったかも知っています。「車で音楽を聴くことが激減したから」です。仕事が今のような在宅になってしまい、会社から社用車を回収され、自家用車は家族が使う・・・。歌う機会がないわけです。家の中で歌うのは柄じゃないし、第一うるさい。家の中ではもっぱら洋楽ばかり聴いていますので、どんどん邦楽の歌詞から離れていくわけです。そうなると結局練習を怠っているのと同じで、声帯は弱るし、高い声も低い声も出せなくなっていきました。

僕は昔「狂乱のシンガーソングライター」を名乗っていました。もっとアグレッシブじゃないといけないのです。演目は歌謡曲ですが、そこに自分なりのエナジーを注入しなければ、自分が自分でいられなくなるのです。なので今後もひとりカラオケは増えていくことになるでしょう。

そこに加えてギターの腕の劣化です。曲の録音については単にモノラルで録っただけなので、そんなに気に病むことでもないのですが、ストロークのパターンがあまりにも一緒で、どの曲も同じに聞こえるのです。リズムもどこか安定していないし、エレアコの音も高音ががちゃがちゃした聴き苦しいものでした。これを解決するにはふたつ。

まずはボーカルとギターの音量を調整する。
今回聴いてみると明らかにギターの方が音が大きいのです。これはボーカリストがミキシングをするとよくある現象なのですが、ボーカルは自分が歌うメロディーなどを知っているので、いちいちボーカルトラックを大きくする必要がなく、他の楽器を大きくしてしまい、結果ボーカルが聞こえないという事が起こるからです。そこのところをよく理解してミキシングすることが大切です。

もう一つはギターをよく聴いて研究することです。
同じようなパターンになっているという事は、曲が違うのに同じような弾き方になっているという事です。これは極めて不自然な事であると同時に、昔からよくあるパターンでもあります。それこそ1960年代のフォークソングの時代から同じような事です。同じプレイをすれば同じ結果が出る。当たり前のようですが、これは方程式であり、一種の哲学でもあります。

これを打破するには、これまでと違う。あるいは曲によって変える。この事を念頭に入れることが最も大事な事です。なぜ今回のようなパターンになったか、わかります。

ストリート時代の「力いっぱいストローク」の癖が抜けきっていないからです。駅前でストリートライブをやっていた時は目一杯力任せにギターを弾いていました。なぜか?「自分の音が聞こえていないのではないか?」という疑念があったからです。
でもそれはアンプもPAも音響設備が何もない時の話です。今回を含めステージにはちゃんとした音響設備、PA機器があるわけです。それでも力任せに弾いてしまうのは結局脱力できていないからです。生アコギにしろエレアコにしろ、最小限の音は拾っているわけで、そこに人力で音を大きくする必要はないわけです。むしろ緩急の「緩い」方が出来ていないのかもしれません。大きい音はPAに任せて、自分は繊細なピッキングに注視する。これも大事な事のひとつではないかと思います。

さて、次にオープンマイクに挑戦するならば9月3週目あたりを考えてます。あるいは前回と同じ第4火曜日に乗っかるのも手かもしれません。いずれにせよ、上記のようなことに留意して、日々の鍛錬に磨きをかけることが大切ですね。

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