認知行動療法の中に問題解決法というのがありまして、どんなすごい内容かと思ったら、良く、みなさんがやっている方法で
- 起きている問題を紙に書く
- どうなったら解決するのかを書く
- その為には何をしたらいいか書く
- その場合に障害になることを書く
- 少しずつ進めるにはどうしたら良いか書く
と、いった感じです。
僕が思うに悩んでる人がいつまで経っても悩んでるのはこの「問題解決法」が
めんどくさい
からじゃないかと思います。1個1個悩みを書き出してどうやったら良くなるか、みたいな。ほんとに治るのかよ!
と、言いたくなりますよね。僕も習った時はそう思いました。こういう論理的に考えられないから鬱なんだよ!みたいな
でもそれは嫌なことから目を逸らしてる、ということに他なりません。めんどうだからやらない、というのは「めんどくさいのが一生続いたら一生めんどくさいので何にもやらない」と言っているのと同じです。
ポイントは一番最後の
少しずつ進めるにはどうしたらいいか
という観点を忘れないということです。いきなり高い壁を登るのは無理ですし、却って諦めの気持ちが強くなって、それこそ本当にめんどくさくなってしまいます。
やれることから、やれそうなことから始めればいいのです。
俺、私は鬱だから何にもやれない、と言われるかもしれません。本当に鬱が強い時は確かに難しいことだと思います。その時は薬飲んで寝てて下さい。スマホは切りましょう。余計な情報は鬱を治して、今ある問題を解決するには必要のないものです。時々スマホがないと生きていけない、という方がいますが、それは甘えです。ツイッター仲間に囲まれていないと癒やされないとかいうのも、依存です。まず心の回復がもっとも大事です。
問題って、どんな事があるでしょうか。
- 失業した
- 生活費がない
- 会社に行くのが怖い
- 嫌な上司と会いたくない
- 電車で出勤すると腹痛になる
- 転職したいがもう高齢だ
- 子供がグレている
- 家事を手伝ってくれない
など、挙げればキリがないわけですが、例えば一番上の「失業した」を考えてみましょう。
失業したので仕事につきたい、がゴールですね。その為には仕事につかないといけません。その為には何が必要か、例えば前の職場で身についているスキルを活用できるとか、あらたに資格を取るとか、仕事が続けられるように体力をつけるとか、そういったことでしょうか。その場合に障害になることは何でしょう。スキルは何もない、資格も持っていない、体力もない、そもそも鬱で何もやる気も出ない。こういうケースもあるでしょう。
そこで少しずつやれることを考えるのです。
スキルがない→資格を取る、そのためのお金をバイトで賄う
体力がない→毎日1kmは散歩する
鬱だから寝る、という選択肢もあるでしょう。ハローワークに行って職を探す、とか無理ですか?めんどうですか?
やりたくない気持ちはよくわかります。動けないこともわかります。
ただそれを声高に主張しても、残念ながら幸せの果実を運んでくれる人はいないのです。
この場合一番やるべきことは
鬱の気持ちを治す、軽くする、間隔を長くする、早く解決できるよう鬱の波が来たときのことを予め考えておくということでしょう。
なぜならそれが一番の「問題」だからです。それを「解決する」ために考えられたのが、問題解決法です。
薬を服用して良く寝て、希死念慮が弱くなったら、一度考えてみてはどうですか?
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