合成写真が出来るまで
前のブログでもやったのですが、今回新たに設置したブログにも何か面白いものを載せられないかと思い、合成写真を作ってみることにしました。
まずは前回の写真をご覧ください。


僕のストラトを持った写真をくりぬき、ギターが並んでる写真と組み合わせます。
すると・・・?

こういう具合になりました。感想としては人物の光の加減と背景の明るさが合っていない事と。人物に対してギターが大きすぎることですね。
でも後で触れますが、専門家ではないので別にこれでいいのです。
それで今回の分は次のような展開です。

まず取りたいポーズを撮影します。
この時点ではどんな出来になるかは考えていないのでとりあえず適当に撮ってます。
このまま使うにはカーテンやエアコン、裏に散らばる荷物(左下に見える小さい箱のようなものはエフェクターの棚)が写りこんでいて、なんだかみっともないですし、面白味にも欠けますね。
この辺から何となく自分なりのアイデアが浮かんできます。

専用の画像編集ソフト(=花子、今どき使ってる人はいるのでしょうか?でもillustratorとか超高価なものは費用対効果が悪すぎます)で、地道に人物周りの背景を削っていきます。
出来上がったらPNGファイルで「透過」保存します。
そして次に背景になる画像を探してきて合成させます。

完成です。
バックのマーシャルの写真はどこかから拝借してきました。
この写真も背景の色に対して、人物の明るさが不足していますね。
ただ、アンプの大きさと人物の距離感と大きさはまあまああっていると思います。
自分の立場、過去の自分
そもそも僕はデザイナーでもなんでもない、ただのアマチュアミュージシャンです。趣味が画像編集というわけでもありません。
ただ仕事で店舗改装や、看板製作などを担当しており、その時に出来上がりがどういう感じになるかが知りたかったのです。
昔は色鉛筆で描いてました。もちろん修正が効かないです。なんとなくのイメージを脳内変換するといった感じでした。これでは社内でも、業者間でもうまくイメージが伝わりません。
次に使うようになったのはWordです。これは今でも使えなくもないソフトですが、絵を描くというよりは字を書くソフトですし、絵を加工したりは出来ません。
なにより問題だったのは、文字に「派手な加工」が出来なかった事です。
この頃、僕への命題は「派手な店舗、派手な折込チラシ」でした。その派手さを出すためにはWordでは無理がありましたし、加工そのものも難しかったです。
そこで新たな画像編集ソフトとして購入したのが「ラベルマイティ」というソフトでした。このソフトはフォントの数や配置は自由自在で、何より派手さが演出出来ました。5重縁取りまで可能で、それはそれは目立つものが作れました。
手本にしたのはパチンコ屋のチラシでした。あれはものすごく派手です。あの雰囲気を出せたら先ほどの命題は達成できたと言えるでしょう。
実際ものすごく派手なチラシが作れました。僕としては満足でしたし、現場のスタッフさんにも好評でした。そんなチラシを折り込んで客数の増加を見込んだわけです。
チラシ以上に難しかったのは看板のデザインでした。基本的に看板は四角いので描きやすかったのですが、元の写真に角度がついていたり、手前に電信柱が写りこんでいたりすると、実際の出来上がりのイメージが異なったものになると考えました。
この辺がラベルマイティの限界で、合成写真が作れるソフトが必要となり、導入したのが「花子」でした。他にも画像編集ソフトはあったのかもしれませんが、当時はジャストシステムで統一したいということもあり、購入に踏み切りました。
全能感
しかし我ながら思うのは誰の力も借りずに、誰からも教えてもらうわけでもないのに、そのソフトを使っていることです。こういうケースは往々にしてあるのだとは思うのですが、取説などないのでソフト内のヘルプを見ながら進めるのですが、ラベルマイティと重なるところもあり(なのでジャストシステムのソフトで統一しました)割と早く色々書くことができたと思います。
そんな甲斐もあり、それまで不可能だった自由な図形を描いたり、斜めに角度のついた板面を描いたりと、当時は大活躍でした。実物と見間違うほどの出来でした。始めにお見せしました合成写真の技術を使って様々なものを描いたり消したりすることも出来ました。
そこで、自分は何でも出来ると、思ったのです。
しかし限界は割と早くやってきました。全てのデザイン関連の仕事を僕がやるようになり、しかもそれに対していよいよ批判や意見をされるようになってきました。もうその時点では「派手路線」は終焉を迎え、シンプルな演出が求められていたのです。
あっけなく
この乖離に僕は段々ついて行けなくなってきました。描いても描いても、ボツになる。文句を言われる。そのくせ大した意見を持っているわけでもない。
「文句があるなら、対案をだせよ!対案を!」
こんな感じに次第に感情が荒れていくのでした。生き生きとデザインの仕事をしていたのが、段々つらく嫌なものになっていきました。
やがて対案が出てくるようになりました。
信じられないほどの地味~なデザインばかり出てくるのです。何だ、これ?といった感想でした。言われたのは「年を取った人だと派手なデザインは読めないから地味にするべきだ」という内容でした。派手だと読みにくい?虫眼鏡で見るくらいの縮尺ならばともかく、これだけ文字の面積も取ってるのに、ですか?
やがてそのような考え方の違いははっきりした対立となり、仕事自体が嫌になっていきました。僕は僕なりに目が見えにくい人用のデザインに変更していくのですが、相手はさらにどんどん地味で根暗なデザインにしていくのです。
それが時代の潮流ならば、もう勝手にすればいい。
僕はそのデザインの仕事からは手を引きました。自分のストレス耐性を考えると、そこまでが限界だったのです。やがて、その看板が出来上がってくるのですが、どれも中学生でも描けるような地味、というか単に文字を数個並べただけの、まるで葬儀会場の案内のような面白みに欠ける物ばかりになっていきました。
悟りと挫折
そこで悟ったのです。
色鉛筆から始まり、Word、ラベルマイティ、花子と使ってきた歴史は終焉を迎え、もう不必要になったのだと、つまり僕のデザインとしての使命も終わったのだと。そんな気がして、デザインの仕事だけでなく他の仕事もそれまでイニシアティブを取ってきた仕事は段々輝きを失い、他のスタッフがその人たちだけで考えた内容に変えられていくのでした。
人一倍プライドがあり、こだわりが強い僕は、全ての仕事や人間関係に嫌気がさし、もうどうにでもなればいいと思い始め、それが危険運転や奇行に繋がり、もう仕事を任される状態ではなくなったのです。
そして馬鹿なことに手を染め、入院することとなりました。僕が築き上げてきたものは完全にゼロと化したのです。そんな事態が7回入院という異様な結果となりました。
そして今、ちょっとだけ
2023年7月現在。僕は週3日、1日5時間の時短勤務となり、週2回は病院で作業療法のリハビリテーションを受けています。どこで歯車が狂ったのでしょう?
そんな折に冒頭の合成写真の技術を見て、ああこういうことやっていた時期もあったんだなと思うと、元気だったころの自分と、少し寂しくなってしまった今の僕とを重ね合わせるのでした。
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