中道、という考え方

疾患

僕は仏教徒ではありませんが、考え方が好きなので触れておきたいと思います。

ゴータマ・シッダルタ(=ブッダ)は恵まれた王家の出身なのですが、出家を思いつきます。

  • 人間は必ず病になる
  • 人間は必ず老いる
  • 人間は必ず死ぬ
  • 人間は生きている限り、必ず苦しんでいく。

それをブッダは知るのです。
生きると言いうことはどういうことなのか。それを知るためにブッダは29歳で出家をします。

向かった先はとある仙人のところでした。
仙人は「何も考えない」ということを教えているのでしたが、ブッダは瞬く間にこれを身につけました。
次に向かった先はさらに上の仙人のところでした。この仙人は「何も考えないということを考えない」ということを教えていました。
ここでもブッダはすぐにそれを身につけました。

ブッダは悟りを得るために修行・苦行を始めました。
肉体を苦しめれば苦しめるほど精神力が高まるという考え方でした。

ブッダは様々な苦行をしました。

  • 鶴のように長時間、一本足で立ち続ける
  • 亀のように地を這う
  • 犬のように4本足で歩く
  • 人間の排せつ物を食べる
  • 灼熱の太陽の下で裸で生きる

これらのことをブッダはやってのけるのですが、最もつらい修業は断食でした。
数カ月の断食をやってのけたとあります。

しかしブッダはそのような苦行を成しえても得られるものは何もなかった、ブッダはただ虚しさを感じました。

そんなある日、農夫がとある民謡を歌いながら歩いていくのを見ました、

琵琶の弦、きりりと締めれば、ぷつり切れ
さりとて弛めりゃ、べろんべろん

何でもない民謡でしたが、ここでブッダは一つの言葉が閃きました

・・・「中道」・・・
ブッダはここで悟るのです。

以前は宮殿で「快楽主義」の生活を。
「苦行主義」を成しえても無意味である。

そんな極端に偏った生活・考え方をしていても、何も得られない。

そこでブッダは「中道」という考えを思いつきました。
「快楽主義」と「苦行主義」の2つの極端な立場から離れた自由な立場こそが「中道」である。

そうブッダは悟りを開くのでした。
この考えは人類の思想史上、空前の思想でした。ブッダという天才が初めて考え付いた思想なのです。思想そのものは以前からあったのですが、それは「苦行主義」しかなかったのです。

他の修行者たちからは「堕落」「中途半端」「ちゃらんぽらん」に他ならないのです。

しかしブッダは「快楽主義」も「苦行主義」も経験したからこそ、「中道」という、どちらにも偏らない生き方を考え出したのです。

これは僕たち現代に生きる者にも言えることだと思います。


楽をする事だけを考えて、自堕落になることは「快楽主義」
辛い事も厭わず苦しんでいくだけでは「苦行主義」だと言えるでしょう。

僕が適応障害(のちに双極性障害に診断名が変わる)になったのも、自分は頑張る事だけ考えていて他の人の手助けも借りず、ただただ懸命にない得たことのない仕事に没頭したことが原因の一つでした。

適当に休んで、仕事をすればよかったのです。
サボっていては仕事は成しえないし、頑張り過ぎれば心も体も壊す、そういう事をブッダは、仏教は教えてくれているのだと思います。

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