僕の嫌いだった人で、こういう人がいました。
「あーっそう」
僕が本社で事務とか現場周りをしていたのですが、ある日現場から「店の蛍光灯が切れたから何とかして」という電話連絡がありました。以前の僕であれば店が忙しい時間帯でもあるし、急いで現場に行って対応しようと考えたものですが、ここ近年のやり方は「まず現場にやらせて、必要があれば業者に手配させる」という、あくまでも自分たちは現場に行かない主義を取っていました。
そのことを知っていた僕は
「申し訳ありませんが、蛍光灯がつかない原因を、【蛍光灯が切れているのか、器具が悪いのか、見極めてもらえませんか?】と言いました。
すると現場の店長の返事はこうでした。
「あーっそう、本社は何にもしてくれないんだ。こっちは忙しくて頼んでるのに動いてくれないんだ、、あーっそう、この事で売上が下がってもいいって言うんだ、あーっそう!」
嫌な感じですよね。僕は「いやいや、そういうわけじゃないんですど、こっちにも用事があるので動けないんです。」実際蛍光灯なんぞで現場に赴くことなどなかったのです。するとその店長は
「あーっそう、現場が困ってるよりそっちの都合を優先させるんだ、見殺しにするんだ。あーっそう!」
あざといやり口
ちょっとあざといですよね。自分の事しか考えてないこのやり口は汚いと思います。それでも僕は「わかりました、そちらに向かいます」と渋々返事をしました。
そうすると近くで一部始終を聞いていた事務員の一人が「そんな蛍光灯ひとつのためにこっちが動くのはおかしいと思います。現場にやらせて原因がわかったら業者に修理依頼をすればいいと思います。」と言って、その現場に電話して、いとも簡単にそのやり方を承諾させたのです。
完全に梯子を外された僕は「・・・ありがとうございます」とだけ言って、黙ってました。
心はいつも優しい
人の心にはすごく繊細で柔らかくやさしい部分があります。そこを言葉で刺されると、とても傷付きます。優しい部分は傷付きやすいのです。そこの扉を全開にしていつでも攻め込まれるようにしておけば、たちまちさっきの僕のような、ひとりでオロオロすることになるのです。
心の優しい部分にはしっかり鍵をかけておく必要があったのです。
そしてもうひとつ。自分の前には透明なガラスの板があって、向こうの様子を見ることが出来ます。ここに向こう側から言葉のピンポン玉をいくら投げつけられても、ガラスに当たって跳ね返してしまうのです。こちら側は痛くも何ともないですから、紅茶でも飲んで寛いでいればいいのです。
アンコントロール
そういう相手の言葉にグサリとこない方法はいろんな本で紹介されています。僕もその手の本は何冊も持っていますが、いざやる段になるとさっきのようなオロオロした態度に出てしまうのです。あるいはブチ切れて「おめぇ、こっちは忙しいんだから、とっととやれ!いちいちそんな事で電話して来るな!」と言っていたでしょう。実際そういう強硬な態度に出たこともありました。何度も、です。
言ったあとで後悔して結局謝罪するのですが、いずれにしても不器用というか、上手くNOが言えないんですよね。
これが通常の仕事に置き換えたらどうでしょうか?
- どんなことを頼まれても、NOと言わない。
- どんな事でも自分だけで解決しようとする
- どんな時も助けを呼ばない
こんな事を続けていれば、いつか心が破綻します。いえ、破綻しました。
頼んでくる側に悪気はないのです。ただ、困ったから依頼の電話をかけてきてるに過ぎないのです。それを自分の努力不足だとか、責任放棄だとか、考えて全て自分の事を否定し続けていれば、瞬く間に自分の存在そのものを疑い、やがては消えてしまいたいと思うようになってしまいます。
入院するまで
心の破綻した僕は明らかにおかしくなりました。返事が出来ない、パソコンを触れない、頼まれ事に極端に拒否する、など。普通の心のバランスが取れなくなっていきます。
やがてつまらない未遂事件を起こし、入院・・・
すべてはどこに原因があるのでしょうか。
- 無茶を言ってくる相手?
- 助けてくれなかった会社?
- 瞬く間に事を解決した事務員?
やっぱり自分ひとりで解決できなかった自分が悪いと思うわけです。そこにはこんな哲学がありました。
昔の哲学
「一流の役者は演技の依頼に対してNOとは言わない。後から胃が痛くなるくらい考えるのさ」
これは僕が20年以上前にいた、前の会社で習った言葉です。
胃が痛くなるまで考える・・・つまり引き受けるが、そのやり方については自分で考える。そんなところだと言えるでしょう。プロフェッショナルとして、自分が動く。でも今の時代のプロは自分は動かず、使えるものは依頼して相手だろうが、依頼すれば金がかかるけど手間はかからない業者に任せる。そういう時代になっていたのです。
兄とのやり取りにヒントを得た
こういうこともありました。僕の兄はすごく自己中心的で、なんでもかんでも人にやらせる質の人間なのですが、現在外国で仕事をしてます。そこから実家に荷物が届いて、何かを詰めて送り返してくれというんです。で、外国あての郵便で、住所も何語なのかわからないものでした。僕が「なんかよくわからないから、帰国した時に自分で何とかしてくれ」と言いました。すると兄は「なんでもいいから、早くやれ」と言い返してきました。こっちからは「出来ないものは出来ないって言ってるだろう!」と語気を荒げると
「あーっそう、もういいわ」
と言ってこの話は終わりました。どっかで聞いたフレーズですね。
「あーっそう」そう、冒頭に出てきた店長の言葉です。人をたやすく扱える人は相手の心の優しさを逆手にとって罪悪感を植え付けて自分の思い通りにする。こういう事が得意なんですね。
ちなみに僕はこの「なんでもいからやってくれ」という言い方が大嫌いです。何でもいいからと言うくせに後から文句をつけられるのが嫌で、一生懸命させられるのに出来がいまいちだと、ケチをつけてくる輩がいるからです。「なんでもいいなら、本当になんでもいいやり方でテキトーになるからな!」いつもそう思い、そのことで何度も喧嘩をしてきました。
罪悪感を植え付ける
退院しても、その志向は変わらず、相手の言うままに自分としては疑問がありつつも仕事を引き受けてしまう。仕事を引き受けることも、仕事をやるにしても、悪い事ではないはずです。ただ言われるがままに動くこと。そこに問題があるということです。つまり
「言われるがまま=本当はやりたくない、やる必要がないのに渋々引き受けている」
という図式かと思います。これが治らないと、いつまで経っても入院を連続でしてしまう環境は変わりません。どういうふうに対応したらよいか、本に面白い事が書いてありました。
「よく考えさせてください」
「そのことはよく考えてさせてください」
と言って、一旦そこから離れるのです。そして心のリズムを取り返すのです。「はやく答えを出せ!」と急かされても「この件は私にとってもあなたにとっても大事な事なので、時間を取って一番いい方法を考えたいのです。だから時間をください。」と答えると良い、と書いてありました。
相手に悪意がないのなら、こちらにも悪意はないはずです。心をコントロールしようとする相手に対しては、自分の呼吸で自分をコントロールする。そういう考え方を身につけることで、何でも引き受けて心が壊れて倒れてしまう前に何とか解決の糸口を探る。そんな自分を目指していきたいと思います。
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